2023年3月の記事一覧
74.修業式講話(抜粋) ~夏炉冬扇~
皆さんおはようございます。皆さんはそれぞれの業を終えこの修業式に臨んでいます。「結果よりも過程重視」ということも年度はじめに皆さんに話しましたが,東高生一人一人が十分な結果に結びつかなくとも,一生懸命努力する過程こそが大切だと取り組んだ姿勢を評価したいと思います。新型コロナウイルスによる様々な影響の中,本当によく学業に部活動に頑張ってきたと思います。東高の校長であることを改めて誇りに思います。新型コロナは終息の方向に向かっているといいのですが,新しい学年でしっかり頑張ろうと気持ちを新たにしてください。
ところで,WBCは日本が14年ぶりに世界一を奪還しました。午前中のライブの視聴率は40%を超え,夜の再放送も20%を超えましたので,テレビで見た方も多かったと思います。今回の国際大会でも優勝して競技自体の実力を世界に示しましたが,同時にゴミ一つ落ちていないベンチの中の綺麗さ,相手をリスペクトする姿勢等世界一に相応しい国民性が評価されたことがとても誇らしいと思います。
さて,今日は一年の終わりに夏炉冬扇(かろとうせん)という話をします。短時間で終えますので聞いてください。この言葉は夏の暖房,冬の冷房といった意味です。ですから,時期はずれの無駄なもののたとえ。また,無用なもの,役に立たない言論や才能などのたとえとして使われます。夏の暑い時のストーブに真冬の寒い時の扇風機ですから時期はずれの無駄なものというのがわかります。
でも本当はもっと大事な意味があって,そのことを皆さんにわかってもらいたいのです。夏のストーブに冬の扇風機は一見すると不要に思われますが,必ず必要となる時が来ます。その時(=出番)に備えてしっかりと準備をしているのです。または,夏の暑い時でも暖房を必要とする人はいます。今日もまだまだ寒いですが,場合によっては冷房を必要とする人もいるはずです。
つまり,人というのは必ずどこかで誰かの役に立っているのです。この世の中に役に立たない人などいないのです。目に見えないところで役に立っていますし,腐ったり・あきらめたりしないで学校生活をしっかりしていれば,目に見えてチャンスは必ず訪れるということです。周りにいる一人一人を大事にしてほしいのです。認めてほしいのです。東高生の皆さんにはこのことを理解してほしいという思いから,一年の終わりに夏炉冬扇(かろとうせん)という言葉を紹介しました。皆さん今日も話を聞いてくれてありがとうございました。以上で講話を終わります。
令和5年3月24日 山内
73.みやぎ鎮魂の日(抜粋) ~あの日から12年~
未曾有の大震災から明日の11日で12年を迎えます。皆さんは,大震災時は,小学校入学前と思われますので遠い記憶にはなるでしょうが,大変な思いをされたことを覚えていることと思います。宮城県では,ご家族やご親族,友人や級友を無くした方が大勢いらっしゃいました。今もなお,多くの行方不明の方もいらっしゃいます。皆さんのご家族やお知り合いの方でも大変な思いをされた方がいらっしゃるかと思います。あらためて,お亡くなりになりました方のご冥福をお祈りいたします。また,まだまだ復興途中であり,被害に遭われて今なお辛く苦しい状況にいらっしゃる方に心よりお見舞い申し上げます。
では当時,南三陸の学校で働いていて,避難所の運営にもあたられた本校事務室の梶原事務次長先生が当時のことを振り返ったお言葉を紹介します。
「あれから長い年月が流れ,震災の報道はほぼなくなり,人々の記憶も年々薄れているように感じます。でも,私はまるで昨日のようにその時の情景,気持ち,周りの様子が浮かんできます。これまでの人生で感じたことのない大きな絶望を感じた人は数え切れないほどいるはずですし,思い出すたびに涙を流す人も多いと考えます。それでも震災を経験した私達にとって震災の記憶は絶対に忘れてはなりません。また起きる可能性がある地震や津波に対して,震災を知っている人が,つらくても自分の子どもや震災を知らない世代に伝えることは,わずかであっても,少ない人数にだけであっても,とても大事なことだと思います。一人でも多くの命を救うため,あの震災を忘れずに伝え,つないでいくことが,経験した者の責務であると思います。」
梶原次長先生のお言葉にもありますように,あの日の教訓と備えへの誓いは,今活かされているかを自問する時です。私たち生かされている者にとって,あの経験と教訓を胸に刻み,風化させないように語り継ぐことが大切です。そして,その心構えを,今後の身を守る行動につなげていただければと思います。私たちも,犠牲者への哀悼の意と今後へのより良く生きる決意を新たにして,講話といたします。
令和5年3月10日 山内
72.卒業式式辞(抜粋) ~一期一会~
卒業にあたり卒業生の皆さんに次の言葉を贈ります。
それは「一期一会」という言葉です。この言葉は茶聖千利休の弟子,山上宗二の「一生に一度の会」が由来になっています。茶の湯における茶会は,庭や茶室,床の間の掛軸や活ける花,客人等のすべてが全く同じでもそれぞれが一回それきりと考えます。そのひと時,その場を同じくする茶会は二度とないため,すべてにおいて最善を尽くします。
学校における授業も同じ事です。同じ授業は二度とできないため教師は最善を尽くします。生徒も一時間一時間に集中しなければなりません。「過去」という“かつて”でもなく,「未来」という“これから”でもない「いま,ここ,じぶん」が何よりも大切であるということです。二度と戻ってこないこの時間を大事にしなさい,この出会いは一度きりかもしれないから大切に丁寧に向き合いなさい,というような戒めの意味合いで使われていることが多いと思います。隣にいるクラスメイトや担任の先生方。お世話になった友達の家族も,もしかするとこの卒業式での出会いが最後になるかもしれません。また会えると安易に思わないで今日の日を大切にしてください。またいつの日か会えるよう,お互いに努めてください。
未曾有の大震災からもうすぐ十二年。震災は多くの尊い命を奪いました。その中には皆さんと同じ高校を卒業したばかりの若者も含まれていました。震災で命を奪われた人たち,大切な家族を失った人たち。彼らは皆,3月11日が最後となるなど考えもしていなかったと思います。皆さんは彼等の分までしっかりと今を生きなければなりません。今を全力で生きること。「一期一会」という言葉を大切にしてください。
さて,私たち教職員は,皆さんの人生の大切な3年間に関わりを持てたことを「誇り」に思っています。
新型コロナによる様々な制約と戦いながら三年間の業を終えられ,仙台東高36年の歴史に新たな1ページを作られた卒業生225名の皆さん一人一人を心から「誇り」に思っています。これからも仙台東高が地域から支持され,中学生が「入りたい高校」であるためには卒業生の皆さんが社会で思う存分活躍いただくことです。ぜひこれからも母校を支援してください。
結びに,卒業生の皆さんには,天から与えられた使命があるはずです。天が皆さんに与えた使命とは何かを求めるように生き,その使命を全うするような生き方を送ってほしいと願っています。それぞれの立場で社会に貢献されることを期待しています。皆さんのこれからの輝かしい人生を祈り,卒業に際しての心からの祝辞といたします。
令和5年3月1日 山内