校長室だより

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33  東日本大震災から13年、みやぎ鎮魂の日

校長室だより「校長の呟き ~東の空から~」

 

33  東日本大震災から13年、みやぎ鎮魂の日

                          令和6年3月12日(火)

 

 3月11日(月)は、みやぎ鎮魂の日でした。東日本大震災から13年経ちましたが、生徒の皆さん、先生方はそれぞれの3月11日を過ごしたと思います。本校では午後2時46分に、出勤している教職員が黙とうを行いました。

 3月12日(火)は生徒登校日で、12時から放送による全校集会を行いました。震災当時は3歳と4歳だった生徒の皆さんに対して震災の記憶を風化させないために、本校事務室の梶原次長さんにお願いして、講話をしていただきました。

梶原次長は、「能登半島地震に係る災害時学校支援チームみやぎ」として能登町教育委員会及び能登町内の小学校と高等学校に2月19日から2月23日まで派遣されました。今回、派遣された能登半島の様子や震災についての想いなどを話していただきました。

以下がお話しいただいた講話の内容となります。ご紹介いたします。

 

皆さんこんにちは。事務室の梶原です。2月19日から23日まで災害時学校再開支援チームの一員として能登半島へ派遣されました。短い期間の派遣だったことから、なかなか皆さんに詳細を伝えるのは難しいと感じていますので、今日は私の経験と思いを伝えたいと思います。

大災害となった「東日本大震災」の発生から、昨日で13年の月日が流れました。人々の記憶も年々薄れている現実がありますが、3月11日という日は、犠牲になった人々に追悼の意を表し、震災の記憶を風化させることなく後世に伝える日であることが定められており、あの日を思い出し・考え・伝え・そして繋いでいく重要な日だと考えています。

皆さんは、昨日どのように過ごしましたか?当時のことをはっきりと覚えている人、あまり覚えていない人を含めて、それぞれの3月11日を過ごしたと思います。その中で1月に起きた能登半島地震にまで思いを寄せた人はどれくらいいたでしょうか?自分たちの身に起きたことではなく、報道も徐々に少なくなってきていますので、どこか遠くの地で起こった出来事に捉えているかもしれませんし、現地の小中高校生の気持ちを自分の心に置き換えていない人もいるのではないかなと思ってしまいます。

そんな皆さんに少し思ってほしいことがあります。大震災の記憶が薄い人であっても、コロナ禍で色々と制限をされたことは確実に覚えているでしょう。楽しみにしていた学校行事、部活動、家族や友達との楽しみが、ことごとく制限された苦い思いが心にあると思います。昨年からコロナによる制限も大幅に解除され、様々な活動が制限なく送れる日常になっています。

しかし、皆さんの同世代である、能登半島地震で被害を受けた地区の小中・高校生は、地震被害により、様々な活動に制限を加えられています。実際に私が訪問した能登高校でも部活が中止になっていました。また、特別教室棟は避難所になっており、実験や実習の授業は行えない状況でした。

もう一つ訪問した小学校は体育館が壊れ、校庭も地割れの被害があるため、体育の授業は行えない状況でしたし、特別教室も多数の被害があるため、理科や音楽の授業も制限されています。別の学校では、これから校庭に仮設住宅が建つ学校もありますし、体育館が壊れているため、卒業式を校舎内のせまいランチルームで行う中学校もあります。

もし、またコロナ禍の時のように、様々な活動に制限を加えられる日常に戻るとなったら、皆さんはどう思いますか?もう二度と戻りたくないと思う人が大半でしょう。能登で被害を受けた地区の皆さんは、そんな日々がまた戻ってきているのです。そしてこれからもしばらく続いていきます。そう思えば、少しは被災された方々へ思いを寄せていただけるでしょうか?直接の援助はできなくても、被害を受けた方々へ思いを寄せること・気持ちを考えるということは、大事なことだと思います。

みやぎ鎮魂の日に際しての全校集会となります。東高の生徒の皆さんが、みやぎ鎮魂の日というものの意味を考えていただき、そして今よりもう少しだけ、能登半島の人々へ気持ちを寄せていただけることを願って、私の話を終わりたいと思います。