校長の呟き ~東の空から~
63. 修学旅行出発 ~思い出に残る修学旅行~
サッカーワールドカップ,日本はコスタリカに敗れ,スペインとドイツが引き分けたため,最終戦までどのチームにもノックアウトステージ進出の可能性があります。日本が敗れ盛り上がりにも陰りが。でも本当に,負けると手のひらを返したり,背を向けたり,遠くに去って行ったりという人間が多いですね。「卑怯」という言葉は死語になりつつありますが,卑怯な戦法の海外勢に対して日本は正々堂々と戦います。もうこの時点で時代遅れなのかもしれませんが,これは日本の品格ですからしょうがないですかね。
さて,今朝2年生が関西に向け無事に仙台を出発しました。私も見送りに仙台空港に行ってきました。クラスや学科によって違いますが,早いところで7時ごろ,遅いところでも9時台に伊丹空港に旅立ちました。朝の連ドラ「舞いあがれ」で飛行機がクローズアップされていますが,私も久々の空港。なんだか胸が躍る思いでした。3泊4日,金曜日に仙台に戻ります。1・3年生は考査です。正々堂々と戦ってください。
自分の高校時代の修学旅行のことは,ほとんど覚えていませんが,教師となってからの修学旅行は一つ一つはっきりと覚えています。特に最初と最後の修学旅行は。
最初の修学旅行は担任として初めての引率でした。男子だけ44人の農業土木科と一緒に行った黒部山岳国立公園「雷鳥荘」標高2400m,ケーブルカーに乗り,終着駅から徒歩でも30分以上かかる陸の孤島でした。夕食まで自由時間2時間くらいあるから外出してもいいと言っても誰一人9月の気温一桁の山には出かけませんでした。愛知県豊田市の自動車工場を経由して,できたばかりの千葉浦安のTDLに。生徒はここぞとばかりに羽を伸ばし過ぎ,他校との衝突・迷子等スマホがない時代の教員用「ポケベル」はずっと鳴りっぱなしでした。最後は浅草で寄席。宮城県の田舎者が,漫談や紙切り芸等ステージ上でいいように使われて,笑い疲れ,帰り道は全員爆睡状態でした。5泊6日で学校に戻ったのは夕方の6時過ぎでしたが,ほとんどの家庭は迎えになど来ないので,宅配サービスなどない時代の当時は大きくて重いお土産を全身全霊で持ち上げ,生徒一人で帰路につきました。
最後の修学旅行は京都3泊4日の旅。USJ等を除けば今回の東高と同じような行程。ですから楽しみがなくなるので詳細は触れませんが,決定的に違うのは時期。9月のお彼岸の連休が終わると,次の日から修学旅行,帰ってきた次の日から新人戦なので朝練習の用具持参でした。自由時間のほとんどを練習にあてたのに新人戦はあえなく初戦敗退。もう一つ違うのは服装。当時の女子はスカート丈が短く,ルーズソックスという格好。でも蓮華王院の千手観音を普通の高校生は特に興味もなく駆け足で過ぎ去るところ,時間をオーバーしてじっくり見て,ガイドに鋭い質問をする姿に「格好を見ていて失礼ですが勉強等には興味関心がないものだと思いましたが,窺ったなら賢い学校なのだそうで」人は外見に寄らない?でもずいぶん元気の有り余る関西の方々に交流を迫られました。
スマホがない。お土産の宅配サービスもない。もちろんどこに行っても「密」でマスクなどない修学旅行など,皆さんには想像すらできないかと思いますが,一生の思い出となることだけは20年,30年前も今回も変わりはありません。大いに楽しんできてください。
結びにお願いです。お土産のことです。全員に共通するお土産は必ず無事にご家族のもとに帰ってくることです。「ただいま」とご家族に言って旅行は終わります。Bon voyage. -修学旅行のしおり-より
令和4年11月29日 山内